教室を立ち上げたときに
教室パンフレットを作っていて
「月謝」という言葉に抵抗があって
「レッスン代」と書きました
「先生」と呼ばれることにも照れがありました
私が所属するリトミック研究センターの
イベントを行なったとき
舞台の上には私の師匠と、アシスタントとして私がいました
いろんな教室の生徒を師匠が公開レッスンしたのです
流石に師匠は課題の提示やまとめることが上手で
勉強のために手取り足取り師匠を見ていました
次のクラスで舞台の上に私の生徒が
他の教室の生徒と混ざって上がってきました
その時に
「この子達にとって『先生』は私なんだ」
「私が自信を持たないことはこの子達に失礼なことなんだ」
と思ったのです
子どもから見たら師匠も私も違いはなく対等なのです
「私が」この子達を育てるんだ
「私に」教える責任があるんだ
目が覚めたような日でした
レッスン代ではなく月謝という言葉を使うのは
「教えてもらうことに感謝ができるように」
「親がお金を出して
習わせてくれていることに感謝できるように」
そういう心を育ててあげたいと思えるようになったからです
偉い人に払うものを「月謝」と呼ぶのではないことに
先生という立場になって気付けました